BAUHAUS TO CONTEMPORARY ART
[art]CONVERSATION WITH ART,ON ART
「東京オペラシティアートギャラリー」での展覧会http://www.operacity.jp/ag/topics/exh69.php。
ダイムラー・クライスラーの「バウハウスからコンテンポラリーアート」のコレクションを展示するようだ。日増しに分かりにくくなる「現代アート」を分かりやすく解説してくれるような展示ではないかと思う。
解説されないと分からないアートとはそもそも何なのか?と言う疑問が現代アートには常に付きまとうが、それはそれでも良いかと思うが、好みとしては「見れば分かるアート」なのだが・・・。
送られてきた案内は「吹き出し」の形をしていて、それ自体が面白い。「アート作品に関するシンプルな質問を盛り込んだ、展覧会オリジナルの『ワークブック』」も面白そうだ。デザイナーにとってもいろいろ勉強になりそうな展覧会のようだ。
■期間:2006.1.14[土]─ 3.26[日]
■会場:東京オペラシティアートギャラリー
■開館時間:11:00 ─ 19:00(金・土は11:00 ─ 20:00/いずれも最終入場は閉館30分前まで)
休館日:月曜日(ただし、2/20[月]は開館)、2月12日[日](全館休館日)
■入場料:一般1,000円(800円)、大学・高校生 800円(600円)、中学・小学生 600円(400円)
[時評]都市に住むルール
〜練馬区向山の閑静な住宅街・緑が丁寧に育てられている(今日の本文とは関係ない場所ではあるが)〜
今日のNHK総合TVで「永井多惠子のあなたとNHK」と言う番組があり、安藤忠雄氏がゲストとして話をしていた。最近の安藤忠雄氏の講演の中で必ずと言ってよいほど出てくる言葉に、「東京に日本の人口が半分集まってもおかしくないような状況(言い回しはいろいろだが)」と言うのがあるようだ。それほど、首都圏に人口が集中しているのが現実なのだろう。
「集中」と「集積」はその「メリット」ゆえに成熟した資本主義社会では必然的に起こる現象だろう。特に日本のように資本家もその政府も「知性に欠ける」国では、それが無秩序に起こる。
「集中」は特に「人口」に顕著に現れている、それによって「住環境(自然環境と経済的環境と言う両面において)」の問題が発生するのだが、最近の「姉歯事件」はその象徴的出来事の一つであることは間違いない。
安価な住宅を手に入れたい人たちを(ほとんどの人がそうだろうが)食い物にするディベロッパーと、それに群がる黒眼が「YENマーク」になった施工業者や設計屋の群れ、裏で駆け回る政治屋。
この事件で、「建築家」の立場が非常に苦しいものになったのではないかと思うが、これについてはいずれしっかり考えてみなければならないことだと思っている。
経済的な面での問題もさることながら、「自然環境」から見た都市の破壊もひどいものがある。先日、世田谷の閑静な住宅街にある小規模な集合住宅で、周りに植えてある高木や生垣を切り捨ててしまったと言う出来事とがある。その集合住宅の近隣の知人(その地で生まれ育った人)から、ひどいことになっていると言う話を聞いていたので見に行ってきたが・・・。
以前その集合住宅に住んでいた住民が生垣の手入れをしていた頃は、緑の葉が豊かに繁り街並みの中に潤いを与えていたが、その生垣は根元から切り倒されていた。うらの駐車場にあった高木も、2mぐらいの丸太が地面に突き刺さっているようになっている、大きな桜も枝をほぼぜんぶ払われてしまい哀れな姿をさらしていた。
「桜伐るバカ、梅伐らぬバカ!」と言う言葉があり、樹木に対する理解のなさを笑ったものだが、この現象はもっと根深いものを持っているのだろう。「緑」に対する態度は、その人の「知性」や「品格」を推し量るものに都会ではなっているのではないだろうか。
更に言えば、ここ何年かで都会移り住んでいる住民は、多くは地方の緑豊かな環境の中から都会に移ってきている。一般論とはいえないが、そのような人々の多くにとって、「緑」などと言うものは「掃いて捨てる」ほど身の回りにあるもので、生活の中でそのようなものは必要ないと思っているのではないだろうか。確かに「緑」豊かな地方ではそう言えるのかもしれないが、都会ではそうは行かない。
都会では「緑」は大切に育てていかなければならないものであり、「自然」であって「自然」ではないものなのだがその辺りが理解されていないのかもしれない。
都会では「緑」は適当な時期に枝を払い、病害虫に対する消毒も必要だし、秋に落ち葉が散ればそれを集めて掃除をしなければならない。そのようなことをきっちとすることが、「都市に住むためのルール」である。「枝が繁って暗くなる」、「落ち葉の掃除が面倒」と言って木を切り倒してしまっては、都会はますます人の住めない場所になってしまう。
都会の、心ある「先住民」は街の緑を守るためにそれなりに努力をしてきた経緯がある、都会に長く住むのであれば、「新住民」も「都市に住むルール」が何故存在するのかに思いをはせ、少しでも良い環境を作り出すように努力すべきであろう、でないと東京は本当に「ブレイドランナー」の世界になってしまう。
勿論、都会に新しく移り住む人に対する偏見かもしれない。「先住民」にしても必ずしも「都会の自然」に対し理解があると思えない人々も多い。いずれにしても「都市」には豊かな緑が必要で、それを育てるための努力が必要であることは間違いないと思うのだが・・・。
[Days]「免疫学者多田富雄」
■今日は朝から、喪中欠礼の宛名書き。添え書きはしないのでかなり速いペースで進む。ほぼ一日で宛名書きは終了。
夕食後、NHKスペシャル「脳梗塞(こうそく)からの“再生”免疫学者多田富雄」〜壮絶な病との闘いで得た生きる力〜と言う番組を見た。重いテーマだが人の心を動かす迫力があった。世界的な免疫学の権威が脳梗塞に倒れてからの「生き様」をドキュメンタリーにしたもの。「能」に造詣が深く脳梗塞に倒れて後、言葉を失い半身麻痺の体で新作能を書き上げる。「原爆」投下後の被災地を描いたもので、部分的に挿入画面として映し出されたが、なかなかに説得力があった。科学者として「二度と過ちを繰り返してはならない」と言うメッセージであった。
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- Published:
- 12.4.05 / 10pm
- Category:
- art
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