パウル・クレー展
クレーの絵本
[art]パウル・クレー展
パウル・クレー・センター開館記念 パウル・クレー展 ― 線と色彩 ―
■会場:大丸ミュージアム・東京http://www.daimaru.co.jp/museum/schedule/tokyo/index.html
■会期:2006年2月9日(木)→28日(火)
入場時間:午前10時〜午後7時30分(午後8時閉場)※最終日は午後5時まで(午後5時30分閉場)
■入場料<税込>:一般900円(700円)、大高生700円(500円)
チラシの案内文を引用しておく。
「線を引くこと」「色を塗ること」の
2つのテーマを軸にクレー芸術の全貌を紹介。
シュルレアリストをはじめ、近現代の美術に大きな影響を与え、スイス、ドイツを代表する画家、パウル・クレー(1879-1940)。クレーの出発点は「線を引くこと」。そして、人生の旅や芸術家との出会いを重ね、簡潔な一筆書きのようなドローイングから、美しい色彩が巧みに重ね塗られた作品、さらには実験的な絵画へと「色を塗ること」を加えつつ変化を遂げていきました。
クレーの絵http://www2.plala.or.jp/Donna/klee.htmは好きなものと、それほどでもないものと混在しているが全般的に好きな画家。バウハウスの教職についていて、その印象が強い。利光功氏の著作(バウハウス 歴史と理念)から、「クレーの辞任」と言う部分を引用しておく。
クレーの辞任
工科大学的な性格が濃厚になるにつれ、絵画教室の位置は相対的に隅に追いやられた。この状態を予見していたパウル・クレーは、まだマイアー在任中の1930年夏、デュッセルドルフ美術学校の絵画教室よりの招聘の話があったとき、そちらの方が自由が得られると判断し、転任を決意した。しかし、丁度マイアー解任の事件があり、クレーは自己の責任感から新しい学長の下でバウハウスの堅持に貢献しなければならぬと考え、事実そのための努力をしたのであったが、一応混乱が収まり軌道に乗ったのを見届けたところで、1931年4月1日に皆に惜しまれながらバウハウスを辞任した。1920年以来10年余の間、クレーは生涯の最も実り多き期間を、バウハウスの教育に注ぎ、それがバウハウスに与えた影響は計り知れないものがあった。同僚も学生も寡黙なクレーに対しては最高の敬意をはらい、グローピウスの言ったように「バウハウスの道徳的最高法廷」として、彼はまさにバウハウスの精神的支柱であった。なおクレーはデュッセルドルフにおいてもドイツの政治事情によって教職活動を封ぜられたため、1933年故郷スイスのベルンに帰ってしまう。
今回の展覧会は、そのスイス・ベルン郊外に開館した「パウル・クレー・センター」開館記念展でもある。
クレーといえば、谷川俊太郎の詩による「クレーの絵本」と言う本があるが、机の横の本棚に置き時々眺めている・・・「TAKE IT EASY!」そんな言葉を思いながら。
回転テーブルサンプルの駆動部
回転テーブルの回転部品
[Days] 展覧会
■すっかり風邪をひいてしまったようで、昨夜は寝ながらクシャミ連発、鼻風邪っぽい。風邪などひいたのは何年ぶりか?ブログ疲れかもしれない・・・。それでも知人の展覧会が今日までなので、連れ合いの運転で銀座へ。相変わらず軽やかなタッチで小気味良い水彩画数点、いつ見ても上手いと思う。泰明小学校を眺めてその脚で渋谷の東急ハンズで買い物。
■帰宅後授業で使う回転台のサンプル作り。やはりかなり難しく、回転ベルトが水平に動くようにするためにかなりの調整を要した。結局軸の傾きを修正しきれず、ベルトが下がらないようにガイドをつけることで解決する。
ベルトはスポンジ+ゴム?のノンスリップシートをベルト状にカットして、ラップさせた部分を糸で留めてリング状にした。回転皿は7mm角のスパンコールを皮用ポンチでφ7mmに加工し、l=16mmの「小ビョウ」にスチノリで接着。
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- Published:
- 1.15.06 / 10pm
- Category:
- art
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