日本の美 三千年の輝き

バークレー

[art]ニューヨーク・バーク・コレクション展
東京都美術館での展覧会。「優れた審美眼によって収集された作品は、縄文時代から江戸時代まで三千年に及び、その内容は絵画、書跡、彫刻、漆工など実に多岐にわたっています。」ということでかなり広範な日本美術を堪能することができるようだ。
絵画、書跡、彫刻、漆工などで、「洛中洛外図屏風」「源氏物語図屏風」「柳橋水車図屏風」といった桃山時代の瀟洒な屏風、光悦や宗達から光琳、抱一など琳派、浮世絵、若冲・蕭白・蘆雪、南画の流れを汲む大雅、蕪村の屏風など多彩(サイトを参考とした)。
■ニューヨーク・バーク・コレクション展(縄文から琳派、若冲、蕭白まで)
■会場:平成18年1月24日(火)〜3月5日(日)
東京都美術館⇒http://www.tobikan.jp/
公園
切り株が殺伐とした「明るい」公園(朝日新聞1月15日)
高齢者
様々な「遊具」で健康増進に励む「お年寄り」。このパワー・数の力を借りない手は無いのでは。(朝日新聞1月17日)
[design]公園の行方
朝日新聞に公園の記事が相次いで載っていたがチョッと気になる。一つは1月15日の『「緑より防犯を」変わる公園』、そして1月17日の『お年寄り遊具で元気』
このところ子供を狙った卑劣な犯罪が頻発している。何故そんなことになったのか?基本的にはその原因を広く検討しなければならないのだが、それは余りにも問題が大きいのでここでは「避けて通る」。おそらく「成果主義」あるいは「経済最優先」と言ったことで全てを推し量ろうとする社会的背景抜きには考えられないだろうが。
『「緑より防犯を」変わる公園』は、文字通り「木を切って見通しの良い、明るい公園」にしようという世論が大きくなっていると言うものだが、木を切ればそれで問題が解決するわけでないことははっきりしている。
「木を伐採するなど整備だけでなく、公園に大人の目を置くことも大切では」という仙田満氏(建築家http://www.ms-edi.co.jp/)の意見も載っているが、強烈なのはNPO「プレイグラウンド・セーフティ・ネットワーク」大坪龍太代表の話で、

米国の都市部では緑を廃して、親子しか入れないようにフェンスで囲んだ公園が増えている。連れ去り防止のためだがその結果、乳幼児以外の子どもの姿が消えてしまったところも多いという。「子どもたちを公園から閉め出して、居場所を奪うことがないよう、注意することも必要だと思う」と大坪さんは話す。

昔は(「昔は」が口癖になるような歳なので悪しからず!)、明るい公園ばかりではなかった、と言うか公園で遊ぶのは野球をするときぐらいで、後は街中をうろうろしていたような気がする、その中には神社の社殿の裏の木が鬱蒼と茂った薄暗い場所も含まれていた。子どもが明るい公園でしか遊ばないとしたら、それはそれでおかしな世の中だが、公園が「砂漠」のようなものであるのも、情緒豊かな子どもが育つとも思えない。
外からの見通しを良くするために木を切らねばならないのなら、公園の中に「大人の目」を置けばよいのでは(仙田氏の意見もそうだが)、ただ「監視員」とか「支援員」とかの堅苦しいものでなくとも、これから大量に発生する(バッタじゃないが)我々「高齢者」が公園に出てくれば良いのではないか。勿論それだけでは問題は解決しないであろうが。
そこで次の「お年寄り遊具で元気」と言う記事だが、すでにかなりの高齢者用「遊具」が登場しているらしい。全てがスポーツジムに行けるわけでもない、であればより多くの高齢者が公園で健康を維持し、子どもたちと接することができれば一石二鳥、と考えるのは短絡的すぎるか・・・?
[Days] 寒中見舞い
■午前中、またまた道具類(今日は電気関係小物)の片付け。午後からは、寒中見舞い状書き。


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