原発都民投票 ~行動のタイミング~

*[原発+再生可能エネルギー]   原発都民投票 ~行動のタイミング~

「原発の是非を問う住民投票を実現させようという東京と大阪での運動に注目したい。命や暮らしを左右しかねない原発政策が住民不在のまま進められてきた。そんな不条理への抗議行動でもある。

これは、1月30日の東京新聞の社説の冒頭部分。「注目」しているのは、東電や原子力ムラの面々も同じなのだろう、というか、もっとより深く注目していることは間違いない。だからこそ何とか成功させなければと思っている。今日も昔の知人と久しぶりにtocoro cafe http://tocoro-cafe.com/で会い、署名に協力してもらった。

放射能は目にも見えないし、匂いもしない、五感で感じることができない厄介なものだが、「能」では認識できる、「直感」でも検知可能だ、だからこそ、日々「能」を鍛え、「直感」を養わなければならない。

東京新聞の社説にはこのようなくだりがある、「意に沿わない結末を予想しておじけづく心情も分かる。だが、こんな機会に一歩前へ踏み出さないと、またぞろ原発政策の傍観者でしかいられなくなると思う。

いつの時代でも難しい局面に遭遇することはある、そこで一歩前に出るには勇気がいるかもしれない、だが、タイミングを逃すと取り返しのつかないことになることも、歴史が証明している。良く知られた、ドイツのルター派の牧師の言葉を引用しておく。

ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。

ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。

ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。

ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した―しかし、それは遅すぎた。

『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』

もう一つ、今回の投票の条例案について、原発の即時停止ではなく、段階的停止(再稼働の可能性を残すと考えられるのかどうか疑問だが)につながるのではないかと言う意見の違いがあるということを、耳にすることがある。しかし、それをもって都民投票の署名に反対するのは如何なものだろうか、この署名活動は、原発の稼働という重大な政策を、薄汚い利権にどっぷりつかった官僚や国会議員に任せず、住民一人一人の意思で決めようという条例の制定についての署名活動なのだから、まずはこの条例を成立させるよう、今こそ行動すべき時ではないかと思っている。

ちなみにこの条例案の「目的」は以下のような文面になっている。

(目的)

第1条 この条例は、東京都民の生活に重要な影響を与える東京電力管内の原子力発電所(柏崎刈羽原子力発電所、福島第一原子力発電所、福島第二原子力発電所をいう。以下同じ。)について、その稼働の是非に関する都民の意思を明らかにするための公正かつ民主的な手続きを確保することにより、中長期的エネルギー政策に係る住民自治を推進し、もって都政の民主的かつ健全な運営を図ることを目的とする。

第2条以下は手続きに関する内容となっている。


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