職人技
[建築]銅板平葺き
「江戸・東京のまちづくり歴史研究会」の例会に久しぶりに参加するために、地下鉄日比谷線築地駅から聖路加病院方面に行く途中、いつごろのものか分からないが(昭和初期〜大正末期?)、外壁銅板葺きの建物があった。以前は神田辺りにも何軒かあったが、最近はめっきり減ってしまった。
この建物は外壁がかなり原形をとどめて残っているように思えた。全面「鎧」をまとったように銅板で覆われている姿は、なかなか迫力がある。全体的にベースは普通の平葺きだが、道路に面した2面の外壁に付いた戸袋の意匠が凝っている。東側の面には「肘掛窓」が3面付いており、その戸袋は「菱形」に葺いてあるが、出入り口の戸袋だけは「亀甲」模様になっている。南側は2階に2つ戸袋があり(1階にもあるが形の記憶がない・・・)、「網代」の形に葺いてあり、東南の角から見るとデザインの違う葺き方をした戸袋が3つ見える。
以前、石山修武氏の「長八美術館」http://www.izu-matsuzaki.com/cyouhachi1.htmlで左官職人を集めたとき、ちょっと油断すると腕に覚えの職人が、我先にと壁に「鏝絵」を書いてしまい大変だった、という逸話を読んだことがあるが、この建物の外壁を見ていると「板金職人」もまったく同じなのではないかと、ふと思ったりした。現代の職人と言われる人たちはどうなのだろうか・・・。
「築地三丁目」の交差点には「置き忘れた」街角のように、低層の建物が一塊あるがその中にも2軒、板金仕上げの外壁の建物があり、そのうちの1軒はかなりしっかりと外壁が残っている。こちらはまずまず「おとなしい」感じの仕上げになっているが、最上階が「マンサード屋根」風に出来ている。当初はきっとその屋根も銅板で葺かれていたのではないかと思われる。
東京の都心にも、思わぬところに大正・昭和の名残を見ることがある。でもまあ、それもあとわずかで無くなってしまうのだろうが・・・。
ところで、看板建築が沢山見ることが出来るのは今や関西かもしれない⇒ http://www.gc-pc.com/fujisawa/page-1-a-.html
[Days]内照式サイン:ジャガー
【momo-house】午前中、構造事務所のM氏と打ち合わせ。おおむね問題なかったが、玄関の吹き抜けは、外壁の風圧力を全体に流すために、梁が一本必要となった、残念と言えば残念だが、スチールパイプでデザインするほどではないし、少し大きめの梁が一本架かっているのも悪くはないかもしれない。打ち合わせ結果をクライアント代理に連絡。
■「江戸・東京のまちづくり歴史研究会」の例会で、「馬場熱海別邸」、「日向邸」等の見学報告を主催者と共同で行った。
【JIA】外苑前のスタバで軽食、その脚で建築交流部会の定例会へ。今年度で3年勤めた副部会長の任をはずれ、来年度からは結構気楽に。途中で竹山聖氏設計の「TERRAZZA/1991」http://tenplusone.inax.co.jp/archive/tokyo2/tokyo2-023.htmlに取り付けられた、ジャガーーの内照式のサインを眺める。なかなか、格好良いサインだ!
■帰宅後食事を済ませて【pine-house】の図面を書き始めたが、すぐに肩と頸が痛くなる・・・、まずい。結局ずるずるとblogを書き始める・・・、まずい!
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