素足が好き

高田
展覧会チラシ
高田写真

[design] 素足が好き
西麻布「ル・ベインhttp://www.le-bain.com/gallery/index.htmlで行われている、今年なくなった靴デザイナー故高田喜佐の展覧会。靴をデザインするデザイナーは当然存在するわけだが、この分野のデザイナーは殆んど知らない。キャットストリート辺りでブランドを立ち上げて成功していると言う若者もいるようだが・・・。
この展覧会のチラシに平成18年2月22日の「天声人語」が引用されている。チラシのコピーでは読みにくそうなので、チラシの文章を引用しておく。

「人は裸足で生まれ、裸足で死んでゆく。その間の生を、靴は共にする」。先週、64歳で亡くなった靴デザイナー高田喜佐さんの『素足が好き』の一節だ。
靴にデザインの概念を持ち込んだはしりで、ブランド「キサ」を設立した。「私の作った靴が、私から離れて歩いてゆく・・・・・さまざまな人と出会い、旅をする。涙を流し、笑い、沈黙し、愛を語り、地球の上で、その人と大地をしっかり結んでいる。」思いが詩的にほとばしるのは、母が「おかあさん詩人」高田敏子さんだったからか。
敏子さんは戦後、普段の暮らしの中の出来事をやさしくつづりつつ人生のきらめきをうたった。「男は毎朝/カミソリでひげをそる/そのとき女は/包丁で野菜を刻んでいる/お互いに刃物を使いながら/は物を感じないでいる/幸福な朝!」(『砂漠のロバ』)。詩誌「野火」を主宰し、89年に74歳で逝った。
やはり戦後の詩に独自の世界を築いた茨木のり子さんが、79歳で亡くなった。背筋がすっと伸びた潔い言葉の数々は、いつまでも生き続けるに違いない。
茨木さんからはがきを頂いたことがある。終戦直後に流行した「りんごの唄」の並木路子さんが01年に死去した時、茨木さんかの「わたしが一番きれいだったとき/街はがらがら崩れていって」という一節を記事に引用した。「あのメロディを聞く度に、戦後の混乱のさまざまがよぎってゆくのを覚えます」
茨木さんは、ようやく訪れた青春の中で聞いたのだろう。そのころ敏子さんは子育てに励み、その懐の内に喜佐さんが居た。

この文章を見ていて、ふと思ったのだが、戦争はデザインなど一挙に吹き飛ばしてしまう、そこに残るのは「組織的な国の暴力」に加担するための「デザイン」だけなのではないか?と。・・・・・・・世界に「敵」をたくさん作るような「政治・外交」をしておいて、「敵に備えろ」と言うのはチョッとヘンなような・・・。兎に角、平穏な世界であって欲しいと思う、そんな中でこそ心おきなくデザインを楽しむことが出来ようと言うものでは。

会期:2006.5.16(Tue)-6.2(Fri)
11:00-19:00 月曜休廊 入場無料(最終日は17時まで)
[days] 展開図の縮尺はいくつが最適か?
【吉-house】明日の打合せのために図面の調整。展開図を1/30にするか、あるいは1/50にするか?今までは1/50にしているが、いろいろ書き込むとすると1/30と言うことになる。とりあえず今日のところは1/50で図面の調整をしたが・・・。


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