INAX REPORT 168

[書籍] INAX REPORT 168
INAX1
INAX REPORT168号の表紙、伊東忠太氏の兼松講堂
INAX2
特集2 「神殿か獄舎か」
INAX3
特集3 「デザインする街」の一部、「キャットストリート」突き当たりに見える切妻屋根の建物は、北山恒氏設計の「パタゴニア」
INAXの企業広報誌で何回か取り上げている。167号で、今までの内容と大きく変わった。どのように変わったかは⇒http://udf.blog2.fc2.com/blog-entry-270.html
今回も3つの特集は健在で、特に「特集1」生き続ける建築は「伊東忠太」で内容も作品の紹介などかなり面白そうだ。とは言え、以前の「ディテール再考」の時と、年表の入れ方など構成は良く似ている。
「特集2」は「著書の解題」で今回は『神殿か獄舎か』、著者は長谷川堯氏。長谷川堯氏と言えば村野藤吾氏のスポークスマン的な存在で知られているが、大學の時の長谷川堯氏の「近代建築論」の授業の記憶のほうが強い。「雄と雌」としての明治と大正建築、それは建築そのものの捉え方の問題でもあったようだが。当時は大学の授業をまともに受けられるような状況ではなかったが、この「近代建築論」と水尾比呂志氏の「日本東洋美術史」は時々聴きに行っていた、それに「経済学」と。
この時代のことは、「特集2」の序論のところで北山恒氏が端的に語っている。167号の松岡正剛氏の言葉を北山恒氏が引用しているものを引用すると(ややっこしい!)「・・・スターリニズム傘下の日本共産党のイデオロギーとも、その逆をいく反代々木の革命的ロマン主義とも軛(くびき)を断つ眼を養っておかなければならなかった」、時代はそういう時代だった。その「眼を養う」ためには、直接マルクスを読む必要があった、それも「資本論」でなければならなかったわけだが・・・。そのような状況の中から前号の磯崎新氏の「空間へ」や「建築の解体」が生まれ、雑誌「都市住宅」に安藤忠雄氏が「都市ゲリラ住居」を引っさげて登場してくる(勿論、現在の安藤忠雄氏とは随分と違った存在だったように思うが・・・)。
そんな時代の雰囲気を色濃くにじませた著作の一つが、この「神殿か獄舎か」と言うことになるだろうか。
「特集3」の「デザインする街」は「AOYAMA OMOTESANDOU」と言うことで、「街の変貌」を捉えている。まあ、青山と言えば40年と少し前に高校に通っていたわけで、どう変わったか分かるはずなのだが、どうも余り表参道に下りた記憶がない。表参道と言えば、銀座線の駅が骨董通りとの交差点にあったころ、タイルの色がピンクだったことだけが印象に残っている(ちなみに、外苑前は緑、青山一丁目は青・・・だったが、今は、三茶が黄色、桜新町が濃いピンク・・・)。この特集もなかなか良く取材されているようで面白そうだ。
そのほかの連載では、中村好文氏のもの、それに「House&Home」の「庇の家」の写真も良いかな(設計:手塚貴晴+手塚由比)。
[days] 小さなモミジ
モミジ
屋外のモミジも悪くないが、テーブルの上の「モミジ」も悪くない
すずめ
先日の風で柿の実がテラスの屋根に飛んで、それを食べにスズメが集まってきていた、「のどか」そうだが・・・
トイレ
地下の打ち放しの壁のトイレにもチョッと緑があると雰囲気が和むような
■三茶の花屋さん「SHALIMAR」で小さな植木鉢に「小さな」モミジがびっしり植わっている「ナンチャッテ盆栽?」を購入。以前、栄通りの元牛乳屋さんだった花屋さんで、同じものを見かけたのだが、迷っているうちに売り切れていて、一昨日仕事の帰りに偶然見つけて早速買って帰った。この花屋さんは古い木造家屋を改修して使っていて、なかなか良い(以前チョッと書いたが)。
momo-house】昨夜送った回答の質疑が朝また来たので、その回答を作るのに午前中一杯かかってしまった。プレカットがやはり問題だ、工法が合理化されるのは良いのかもしれないが、そのシステムに建築そのものが束縛されてしまうようでは話にならない。とは言え、最近の世の中はそんなことばかりが多くなってしまったような気もする。何が大切なことなのか、それが見えにくい世の中になってしまった。午後からは図面の修正。
吉-house】昨夜、ロフト周りなどの連絡事項をFAXで送ったが、家具取り付けのための壁下地補強について追加のFAXを送る。


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