小堀遠州 美の革新

[design] 太平の世をデザインした男
ボウセン
弧篷庵忘筌(新建築で1991年から1993年にかけて連載されていた西和夫氏の「数寄空間への招待」より)
密庵
密庵(同上)
八窓席
八窓席(同上)
聴秋閣
聴秋閣(同上)
もう少しいろいろ画像はあるが載せている時間が無い!
今日の新日曜美術館は「太平の世をデザインした男〜小堀遠州 美の革新〜」と言うことで、小堀遠州の特集。最初に城郭建築から入ったのはチョッと意外だったが、岡山の松山城と言うちょっと小ぶりの山城http://local.goo.ne.jp/leisure/spotID_TO-33000625/。遠州は徳川幕府の普請奉行だった訳で、城を作るのはあたりまえなのだろうが、余り城郭建築についての話は聞いたことが無かった。
次は庭について、庭は建築よりもはっきりと遠州作と分かっているものがいくつかあるが、もっとも有名なのは高梁にある頼久寺庭園http://www1.ocn.ne.jp/~tentyu/sub8.htmで、皐月の大刈り込みが印象的。日本庭園の中でもどこか「ヨーロッパ的」な雰囲気が感じられる遠州独特のデザインだと思う。もう一つ紹介されたのは南禅寺の金地院の庭、これは遠州の作庭として世に知られているが、遠州らしさは余り感じられない(まあ、こちらの問題だが)。他にも仙洞御所の池の護岸など、一部に遠州らしさが残っているものもあるようだが、頼久寺と金地院が誰しも納得するものであることは間違いない。
次に茶室が紹介されたが、弧篷庵忘筌は遠州の根拠地であり、利休とはまったく違った表現の茶室と言うことで、誰しもが「遠州=弧篷庵忘筌」と言うことを考えるだろうし、まさに代表的な遠州の茶室だと思う。次が金地院八窓席、これも遠州の作として「公認」されたもので、明るくて気分よくお茶をいただけそうな茶室だ(ここは中に入るのが難しく、にじり口や貴人口から眺めるだけ、今回はかなり特別なのだろうカメラも中に入っていた)。
意外だったのは密庵が出てこなかったこと、本来であれば八窓席よりも密庵の方が遠州的だし、余り無い茶室のデザインなので密庵を見たかった。密庵は八窓席以上に取材が難しいかもしれない。それよりももっと意外だったのは、三渓園聴秋閣http://www.sankeien.or.jp/kokenchiku/choushuukaku.htmlが、遠州の作ではないかと言う林原美術館館長熊倉功夫http://www.hayashibara-museumofart.jp/hajime/index2.htmlの話だ。聴秋閣はよく履歴が分からないようだが、佐久間将監作と紹介されているのではないかと思う。熊倉氏の話では二条城の御幸御殿創建の折、池に突き出た建物として遠州が普請したものであるように話していた(そう聞こえた)が、この説は初めて耳にした。
肝心のお茶については時間切れといった感じで、こちらは松屋銀座で開催中の「小堀遠州展http://d.hatena.ne.jp/udf/20071202」を見るしかない。
短い時間だったが楽しめる番組だった、出来ることなら後編として「小堀遠州とお茶について」の番組があればさらに良かったと思う。
[days] 世界と日本 大図鑑シリーズ
東京新聞
東京新聞より
■今日もまた一日【KGJC】の授業の準備、午後データを送った後、レジュメや資料を作っているが今日中には出来上がらなかった。もっともblogを書かずに作業をすれば別だが・・・。
■東京新聞に「世界と日本 大図鑑シリーズ」と言うのがあって、新聞見開き(と言うか背と背と言う感じだが、要するに大きい!)の特集記事が日曜日に見ることが出来る。よく取材してあって「図鑑」と言うだけあり、図が多く分かりやすい。今日は「揺らぐ中国農業」と言うテーマで、早すぎる経済発展の影で歪みの出ている中国農業について書かれている。まあ、中国もそうだが別の意味で日本の農業は危機(そんな甘いものではないのだろうが)的、と言うか「食糧安保」がまったく吹っ飛んでいるといった感じだ。農業を切り捨てると言うことは、国民の「食」を他国にゆだねると言うことで、ある意味国民を売り渡していることになるのではないのだろうか。誰が誰に何のために売り渡しているのか・・・?


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