浜岡原発

[原子力発電] 浜岡原発
東京新聞1
東京新聞 2011.04.07 朝刊
東京新聞2
東京新聞 2011.04.07 朝刊
原子力発電については、「喉元過ぎれば」と言う訳にはいかない問題であることは間違いない。
でも、日本人は結構あっさりと「忘れる」。忘れた方が良いことも沢山あるが、忘れてはいけないことも中にはある。
日本人は「忘れてはいけないこと」もなんとなく「忘れる」。そのように仕向ける者たちがいるわけだが、忘れるように仕向ける人たちは、たいていはそれを「仕事」としている場合が多い。だから、継続的にそれを続けることが出来る。
「忘れてはいけない」と思っている人たちは、生活の合間に「忘れてはいけない」とつぶやくのがやっとの場合が多い。

でも今度ばかりは、あっさり忘れることはできない。
ひとたび大事故が起きれば、日本人の将来に係わることになる。
「ただちに影響は無い」かもしれないが、かならず影響が出るのが放射能なのだから。
特に子供たちの将来に大きくかかわる問題だから見過ごすことは絶対に出来ない。

と言う訳で、[原子力発電]という項目を作り、日々忘れることの無いように、「継続は力」となるよう考えて行きたい。
「コジェネ」はもう少し準備してから取り上げることにして、今日は「東京新聞」の4月7日の「それでも「浜岡」は必要か」という記事を取り上げてみた。

浜岡原発は原子炉建屋とタービン建屋の間に活断層が有り、予想される東海周辺の地震に耐えられない可能性があるので、運転停止を求めて裁判が起こされた原子力発電所であることはよく知られている(と思う)。
この裁判で中部電力側の証人として原子力発電所の安全を主張し、「すべての非常用電源が使えない事態について「可能性を組み合わせていったらものなんて絶対つくれない。だからどっかで割り切る」と答弁」したのが、現在の原子力安全委員長の斑目氏であることも周知の事実である。
日本では原子力発電で利益を上げる電力会社の代弁者が、原子力の危険から国民を守る(と言われている)原子力安全委員会のトップになると言う、摩訶不思議な国のようだ。

そもそも東京新聞の記事によると、中部電力管内の需給のバランスは浜岡原発無しでも、十分供給量が上回っていると言う。
記事によると、もし浜岡原発で大きな事故が有り放射能が放出されれば、シミュレーションによると、放射能雲は6時間で横浜に、8時間で霞が関に達し、首都圏をすっぽり覆うことになる(風向き次第だと思うが、風は基本的に西から東へと言うのが普通だろうか)。神奈川県で1000ミリシーベルト、東京でも500ミリシーベルトを超える地域が出ると言う(一般人の被ばく限度量は年間1ミリシーベルト)。

そんな危険なシステムが何故まかり通るのか、そこには最近良く言われる「原子力村」の存在が有るようだ。儲けることが頭の中身の全ての電力会社の経営者、そこに巣くう官僚群と天下りの一団、原子力産業で利益を得る強電系を中心にした企業やゼネコン、研究資金や地位を得ようとする御用学者たち、CM等の資金で牛耳られているマスコミ、まあ、いろいろいるものだ。
テレビの報道関係の解説に出てくる学者はほぼ間違いなく、電力会社の資金を「研究資金」としている人たちなのだろう。原子力発電に批判的な学者は研究資金はままならず、とても「教授」などになることもできない。むかし、宇井純氏がいつも「助手」だったのと同じことなのだろう。
と言うことで、浜岡原発については即刻停止して廃炉にすべきなのではないだろうか。

先日、NHKのニュースで、福島第一原発一号炉が地震発生時に一部破壊されていたのではないか、と言うニュースがNHKの独自の取材と言うことで報道された。実際には浜岡原発停止裁判で原告団の技術的分析の重要な一翼を担った、田中氏の見解をNHKが取材したようであるが、そのことは一切伏されている。田中氏に近い筋からの話では、NHKは田中氏に取材したことを発表しないのは、田中氏が原発に反対する立場だから、と説明したらしい。
NHKとしては、原発推進派の学者は名前も顔も出すが、反原発の関係者から意見を聞いていることは公にしたくないようだ。
それが良いことなのか、とんでもないことなのか、取りようによって随分と変わるかもしれない。


About this entry