佐藤晃一ポスター展

[design]佐藤晃一ポスター展
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ポスター
佐藤晃一氏作品:グラデーションを駆使したポスター
日本のポスターは世界でもトップレベルを維持しているのではないかと思われる。戦前から山名文夫( http://d.hatena.ne.jp/udf/20041103 http://d.hatena.ne.jp/udf/20041120 )など、優れた人材を有していたのだとは思うが、とりわけ戦後のグラフィックデザイナーの層の厚さは目を見張るものがある。そのような中で、亀倉雄策氏、田中一光氏に続く世代の旗頭の一人が佐藤晃一氏ではないだろうか。佐藤晃一氏のポスターと言えば、グラデーションを駆使したデザインが特徴のひとつかもしれない。
佐藤晃一氏のポスターについてはこのblogでも何回か取り上げている( http://udf.blog2.fc2.com/blog-entry-648.html 
http://udf.blog2.fc2.com/blog-entry-469.html )、それだけ注目をしていると言うことになるが、今回の展覧会ではこれまでの作品「約100点」を展示すると言うことなので、佐藤晃一氏の「すべて」を見ることが出来るかもしれない。
その他にも『ミュージック・マガジン』誌に連載されたエッセイと図版を1冊にまとめた小冊子が出版されるとのこと。毎年、授業の最後のレジュメに佐藤晃一氏の以下の文章を載せているが(blogでも何回か紹介している)、エッセイストとしての才能も豊かなものがあることが分かるように思える(以前にも載せているが)。

20代の頃、私はデザインこそ新しい芸術だと信じていた。ビートルズのサウンドは額縁芸術の葬送行進曲であり、現実と虚構の間の壁に風穴を開けるデザインのカラクリこそ、心躍る芸術の解放だと考えていた。
 しかしキャリアを積むにしたがって考えが少しずつ変わってきた。芸術には本来目的がないのに、デザインにはいつも目的があった。プロとして目的を果たすことの的確さが最大の関心事となり、「デザインは芸術ではない」と言う立場にも強い共感を覚えるようになっていた。
 そして今、若い頃とはまた別な意味で、私はデザインの芸術性を大切にしたいと思うようになっている。なぜなら、例えば、野に咲く花の様子を見ても、花の美しさは虫たちを呼び寄せるという目的からずいぶんと逸脱しているように見えるからである。
佐藤晃一 The Energy of Asian Design
第532回デザインギャラリー展(銀座松屋1998年)

今回の展覧会の案内がgggのホームページに有るが、その一部を引用しておく。

佐藤晃一氏は1970年代のデビュー当時から、日本的な感覚と未来的なイメージを融合させた独自の表現で注目されてきました。なかでも印刷のメカニズムを最大限に引き出した鮮明な色彩とグラデーションを駆使したポスター作品には、人種や世代を超えた精神性と緊迫した空気がみなぎっています。
今回の展覧会では、「空」をテーマに「佐藤晃一ポスター」と題し、「箱」をモチーフとした佐藤晃一氏の原点とも言える1974年の「ニュー・ミュージック・メディア」から、「空」をモチーフにした1993年の「東京フロンティア’96」を経て現在に至るまで、氏の代表的なポスター約100点を一堂にご紹介いたします。また、激変する時代とメディア環境の中で、今日では絶滅危惧種とも言える貴重な手描きの印刷指定原稿(版下台紙)やカラーチップなど、制作プロセスを如実に物語るアナログメディアも登場し、佐藤晃一ポスターの秘密と魅力を探ります。
また、展覧会に併せ、30年前に『ミュージック・マガジン』誌に連載された24編のエッセイと図版を1冊にまとめた小冊子『佐藤晃一のYES EYE SEE 1982-83』を刊行いたします。

■会場:ggg(ギンザ・グラフィック・ギャラリー) http://www.dnp.co.jp/gallery/ggg/ 
■開催日:2011 年5月9日(月)〜5月31日(火)
■時間:11:00〜19:00(土曜日18:00まで) 日・祝日
■入場無料
[days] 花は咲けども
ジャスミン アーチ
「つくば」の行商の「おばさん」から購入したジャスミンで出来たアーチ。去年あたりからびっしりと花をつけて綺麗だ。
ジャスミン アップ
黄色い花が沢山咲く。
シャボン玉の木
室内に置いた「シャボン玉の木」も春を察知して可愛い葉を成長させている。
ブルーベリー 全体
バルコニーのブルーベリーもしっかり花を咲かせている。
ブルーベリー 部分
ブルーベリーの花、沢山咲いていると言うことは収穫を期待できるが、はたして食べても良いのだろうかと、考えてしまう。原発の事故さえなければこんなこと考えずに安心して食べられるのだが。
■春も終わり、初夏に差しかかり花も葉も生き生きと輝いているが、どうも、空気の汚染が気になり初夏の心地よい風を室内に入れる気があまり起こらず、部屋が暑いときは少しだけ扇風機をまわす。でも、心地良いのは自然の風、のはず。
■前回、郡山市の小学校と保育所の表土除却の報道をblogに載せたが、その後の話として、直接ニュースを見たわけではないが、その土壌の処理について住民からかなり厳しい追及が有ったと言う。もちろん抗議をするとすれば「大人」と言うことになる。除去した土壌について住民の理解を得ておかなかったことは、行政側のミスと言えるのだろうが、幼い子供たちの未来を思い、取った行動に、血相を変えて抗議すると言うのは如何なものだろう・・・。テレビに映ったそんな自分を見てどう感じるのだろうか、と思ったが、そう言う「大人」はきっと何も感じないのだろう、と思ったりもした。それが、文部科学省の思うつぼ、と言う気もした。そんな「大人」が大量に存在しているのが今の日本と言うことになるのか、汚れたのは空気だけではないのかもしれない、が、そんな「大人」は以前から沢山いるし、その予備軍もまた大量に存在しているようにも思える。大丈夫か日本!強さと優しさと、それに賢さを兼ね備えないと、やはりまずいのではないのだろうか・・・。なんだか寒い!


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