生誕100年 前川國男 建築展
入場券
前川國男展とギャラリー間の展覧会のカタログ。ギャラ間はまだ行っていないがINAXで購入。二つとも、力の入ったカタログでとても重い。ギャラ間のカタログは作品の間に入っている小論文が面白い。評価はそれぞれだろうが、手元においておきたいカタログ。
ギャラリーで売っていたペーパーモデル。東京駅の創建当時のドームが乗った模型。この形に復元されるようだ。
[建築]東京ステーションギャラリー:前川國男展
東京駅に併設されたギャラリーでの展覧会。会期終了後、東京駅改修のためしばらく休館になるようだ。前川國男展については昨年書いているので(http://d.hatena.ne.jp/udf/20051217)会期などの詳細は省略する。
このところ余り体調も良くないので、サラッとしか見てこなかったが、やはりその活動の幅と深さには他を寄せ付けないものがあると思った。例えば、丹下健三は庶民の住宅について心を痛めたことは無いようだし(前川はプレモスや晴海の集合住宅で庶民の住宅についてさまざまな試みをしている)、公共建築においては吉村順三や吉田五十八をはるかに凌いでいる。坂倉準三とはどうかといえば、坂倉事務所はかなり早くから、西沢文隆や坂田誠造の存在がそのデザインに大きな影響を与えるようで、その点、前川は最後まで自身の個性を前面に出していたのではないかと思う。
何よりも前川を評価する点はその生き方にあるかもしれない。今回の展覧会のカタログは内容豊かである、その中から前川の残した言葉を少し引用しておく。
近代建築は人間の建築である。その故にこそ近代建築を可能ならしめるものは人間への限りない愛着を本質とする『在野の精神』に対する深い理解とたくましい自信とでなければならない。
「刊行のことば」『PLAN1 建築・工芸・都市』雄鶏社、1947年
住宅が一番生き生きとしている状況というのは、そこに住んでいる人のスポンターニティというか、自発性というものが活動しているときです。住む人のスポンターニティを殺してしまうようなデザイン本位の家なんかは、死んだのも当然といえるでしょう。住んでいる人自体の生きざまが、その住宅と一体になっている生活空間、それこそ本当の建築といえるのではないだろうか。
「スポンターニティが息づく生活空間を求めて」『Commercial Photo Series 建築写真・表現と技法』1978年
2月11日グランドオープン予定の表参道ヒルズ。どのような評価が下されるのか。森ビルによる建築ジャーナリズムのコントロールは行われるのか・・・?まあ、それはないだろう。
同潤会の建物の復元。使い方はどうするのだろうか?同潤会ミュージアムにでもなると良いのだが。それにしても良く単体の復元が出来たと思うが、本来であればもっと空間ごと何とかして欲しかったと思うが・・・。
[Days]表参道
■午前中、「建築家のメモ」でロバート・ベンチューリ氏にスケッチの提供を求めるのに協力していただいた、丸の内建築事務所の所長にお礼の挨拶かたがた丸善から預かった献本を持参。道すがら靖国神社を眺める、大きい!
■その足で東西線で大手町に出て、久しぶりに東京駅への連絡通路を歩いて「東京ステーションギャラリー」で前川國男展を見る。さすがにそこに集められた作品の図面や模型・写真などを眺めていると、圧倒されるものがある。
■またまたその足で、先日まで「ヒューザー」が入っていたビルを横目で見ながら、京橋のINAXブックセンターで雑誌などを購入。近くの「甘味どころ」で軽く昼食(卵雑煮)。向かいの「au」でififを入手。
■銀座線で表参道に向かい、「表参道ヒルズ」を眺めて、スタバでゆっくり休んでからWISE・WISEのセールをのぞく、70%offの商品もあったが手ごろなものはすでに売れていたが、夕方からまた商品が入れ替わるらしい。
【momo-house】帰宅後プランの検討・・・。難しいが何とかなりそうだ、「住む人が生き生きと活動できる住宅」を目指して!
■夜遅く、「豆まき」!今日は節分、毎年家中豆をまいて歩くが、昔は息子が大声で蒔いて歩いたが今は二人で小声で「鬼は外!福は内!」
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- Published:
- 2.3.06 / 11pm
- Category:
- 建築
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