雑誌:建築評論

横綱
東の横綱:丹下健三、西の横綱:前川國男(何故、丹下が東の正横綱かは本文に説明がしてある)
三役
どうも顔が似ているようには思えないが・・・(皆若かった、ということかもしれない
番付
審判員に今和次郎・西山夘三・堀口捨巳が現存しているところが歴史を感じさせる!
[建築][書籍]昭和四十八年春建築界作家番付表
建築評論」という建築に関する評論を行うA5判の小さな冊子が昔あったが、「GA(GLASS&ARCHITECTURE’95spring)」の特集「建築ジャーナリズムの地平・・・建築メディア考現学http://d.hatena.ne.jp/udf/20040926」によると、1971年から1976年(?)ごろの間に、編集兼発行人池田新一氏で発行されていたようだ。同誌によると、「協力:渡辺豊和、西沢文隆、向井正也」となっている。
たまたま1973年の8月号を見ていたら面白い記事があった。当時の建築家の番付表を「漫画」とともに掲載している。編集者が番付を作ったのだろうか?大関に西沢文隆が居るのにチョッと違和感を覚えたが、「協力者」だったからだろうか?
まあ、それは良いとして、30年経つと随分と世の中様変わりするものだ!横綱も大関も全て故人だ、理事・審判員にいたっては遥か以前に全員亡くなっている。現代版番付表を作ったら一体どのようなものになるのか?
時々書いているが、現代の建築ジャーナリズムは「へなへな」なものしかないので、建築を「評論」しようなどと言う気骨のある編集者も出版社もありはしない。「建築批評」は真面目にやれば限りなく「政治批評」になってしまうから、腰の引けた「建築ジャーナリスト」にとってアンタッチャブルなのだろう。
33年前の「建築評論」の巻頭文の一部を引用しておこう、どこか今の日本と似ているような似ていないような・・・、明らかに違うのはこのような巻頭文を書く建築ジャーナリズムが存在していないことだろうか。

・・・
佐藤時代の無力感がストレートに、田中の土建屋のような荒々しさに結びついたことを考えれば、佐藤前首相のあのギョロ目を早くつぶしておけば良かったと今更に悔やんでも始まらない。どうしてこうも日本国民というのはオメデタイのだろうか。直ぐマスコミに躍らされて、庶民宰相だの決断と実行だのと祭り上げてしまったのだからもう遅い。日本列島改造論を安易に出しすぎた結果、一挙に世の中は無節操時代に身を滅ぼそうとしている。それにしても我が同胞、国民、日本人とは、どこまでダメなのだろうか―――。
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[Days]研修
PTT-SS】今日は朝から夕方まで、5年ぶりくらいでオフィスに「拘束」されるという一日だった。やはり体力と集中力は確実に衰えつつある・・・、とはいえ、集中するときにはそれなりに何とかなるものだ。


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