LifeStudio
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nextmaruniのDM、地図と案内文のみ。
時々紹介している「next maruni」http://www.nextmaruni.com/のショールームが麻布から東日本橋に移転した。西麻布の方には以前1、2回行ったことがあるが、地下で2層分のスペースがある、黒川雅之氏のアトリエと同居していたように思うが・・・?
「nextmaruni」はもともと「マルニ木工」の、デザインを重視した家具を製作販売する子会社的な位置にあるのではないかと思うが、そのショールームが東日本橋という場所にあるのが良いのかどうか分からない。東日本橋周辺は、大規模開発に「置き去り」にされた、中小のオフィスビルが建ち並ぶ地域で、ここ何年かの間で「リニューアル」による再生にかけている地域といった感じがする。
だいぶ前になるが、そのような実験的な小規模ビルの再生計画の見学をしたことがあるが、その後どうなっているのか・・・。
この東日本橋のショールームで行われる「MARUNI COLLECTION 2008 BY NAOTO FUKASAWA」については以前紹介しているhttp://d.hatena.ne.jp/udf/20080322。実際に新しいショールームを見てみないとなんとも言えないが・・・、「マルニ木工」と「nextmaruni」がどのように同居しているのだろう?
「MARUNI COLLECTION 2008 BY NAOTO FUKASAWA」については、再掲になるが以下のとおり。
■会期:2008年4月2日〜6日
■会場:マルニ東京ショールーム
■時間:10:00〜18:00(初日13:00開場)
■入場無料
[days] 怒り心頭!
1994.02.14の「AERA」に載った「脳科学による現代養生学」の写真。奈良・新薬師寺の「伐折羅」
胃に穴が開きそうな気持ちで移動中に見た景色!ではなくて、ホームドクターのおかげで無事病院に落ち着くことが出来た後の風景だった!勿論、これで全てがうまくいくことになったわけではなく、全ては始まったばかりだが・・・。
そのまま空に飛び立てそうな高速道路(以前も書いたが)
■ここ数日は、極々親しい知人の転院騒動で全く何も手につかない状況だった。救急で運ばれた病院の対応が良くないため、転院をするべく根回しに努めたが、今の世の中、一度病院に入ってしまうと、その病院の意に反して他の病院へ移動、と言うわけには簡単には行かないようだ。
患者のことを第一に考えて、医療システムが出来ているわけではないということが、嫌というほどよく分かった。まあ、今の世の中、医療に限らずそのような利用者不在のシステムは横行しているのだろうが。
転院について言えば、ソーシャル・ワーカーのシステムがとられているようだが、ソーャル・ワーカー自体がその病院に属している限り、患者のためと言うよりはそれぞれが属する「病院」のために、患者をコントロールするシステムに陥らざるを得ないようだ。
医療制度自体が、病院のためにではなく、患者のために形づくられていなければならないのだろうが・・・。「セカンド・オピニオン」といったシステムも機能しているかどうか、実際にはかなり難しいのではないだろうか。
結局今回はホームドクターの強力な後押しで何とか事なきを得たが、危うく介護タクシーで「彷徨う」羽目に陥りそうになった。
病院の意に逆らって退院することも、その後うまく収めることも、身を削る覚悟なしには実現しないということが良く分かった1箇月だった。
ここで、再度「ホームドクター」の重要性と、まだ「医は仁」と言うことを感じさせてくれる「医師」の存在があることを知って、少し心が癒された。しかし、その反対に「人格」がおかしいのではないかと思われるような「医者」が闊歩しているということもまた事実ということ、これはとても恐ろしいことなのではないかと思う。
もっともこの国自体が、「どこかおかしい」ことになっているのかもしれない。「この国自体」とはこの国を形成する一人ひとりの人間自体、と言い換えることが出来るのかもしれない。
世の中、理不尽なことが実に多い。やはりおかしいことには「怒りをもって」闘わなければならないと思うのだが・・・、難しい!
今回の騒動で感じたことの一つに、昔ながらの地域に深く根ざした小規模の個人病院が窮地に追い込まれていることがある。この規模の病院を守っていくことが、血の通った医療システムを維持するポイントになるように思うが、そこを集中的に破壊しようとしているのが、今の医療行政ではないだろうか、何故そうなるのだろう?誰が何のためにそうしようとするのだろう?ここは一つ、医療システムの問題点を勉強しないといけないかもしれない。
もう一つは、一定の規模を持った病院が、あるシステムに載って、人間を「数値データ」で管理するだけで、人の心を理解できるような「医師」が減りつつあるのではないかということ。
とりわけ、これからは高齢化社会が進み、高齢者が「お荷物」として捨てられていくような気がしてならない。直に我々が捨てられる日が来る訳だが、スマートにこの世から消えることが出来るように、「ゴミ」のように無様に処理されないように、闘えるときに闘わなければならないのかもしれない・・・。
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- Published:
- 3.30.08 / 10pm
- Category:
- design
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