内藤廣「アタマの現場」

2013.12.21 内藤廣 1

2013.12.21 内藤廣 2クリックで拡大

内藤廣氏と言えば、1984年のギャラリーTOM http://www.naitoaa.co.jp/090701/works/tom/works.html が実質的なデビュー作だろうか。渋谷の松涛にあり、視覚障害者のための美術館、前は時々通ることがあるが、まだ中に入ったことは無い。白井晟一氏の松涛美術館には入ることもあるが・・・。作風はそれほど特徴のある建築家ではないようにも思えるが、強いて言えば木造の大き目の建築が得意な建築家と言うことになるのだろうか。

印象的なのは、内井昭蔵氏が急逝したあと、「INAXREPORThttp://inaxreport.info/index.htmlで内井氏の後を引き継いで、主要な役割をはたつぃていたことだろうか。「INAXREPORT」はINAXがLIXILグループに編成されたときに「LIXILeye」 http://archiscape.lixil.co.jp/lixil_eye/no1.html に変わっているが、それよりも前の2009年4月の178号を最後に古谷誠章氏に代わっている。内井昭蔵氏のあと、と言うことは、かなり建築会に広い人脈があるのかとは思うが、若干約不足的な印象はぬぐえない。

今回の展覧会では、最新の作品を見ることが出来そうなので、楽しみではある。

ところで、内藤廣氏といえば、最近話題の新国立競技場コンペの審査員の一人な訳だが、先日沈黙を破って自らのホームペイジに「建築家諸氏へhttp://www.naitoaa.co.jp/index.html と言う一文を発表している。このことはすでに一度書いているが http://udf-tokyo.com/weblog/?p=5383 、残念ながら内藤氏の言う「蠢く」やからは、新国立競技場のプロジェクトの周りにも沢山いるわけで、新国立競技場が臨海地区ではなく、神宮外苑地区に変わったことから見ても、今回の件が内藤氏の言うような純粋な建築論や文化論では片付かないことは、誰が見ても分かることのように思えてならないが・・・。

それにしても、内藤氏はこともあろうに、福島のことまで持ち出しているのには驚かざるを得ない。内藤氏は原発に対する見解を公に表明したことがあるのだろうか?話のすり替えもここに極まる、といった感じがする。(「建築家諸氏へ」より一部引用)

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しかし、三陸や福島はいいのでしょうか。あそこで蠢いているのは、旧弊にとらわれた法律や制度そのものです。放射能をどのように処理するのかという答えのない問いです。分かりやすいことには過剰に反応するのに、分かりにくくより本質的な問題には黙する、というのはおかしい。もし、市民の立場に立つというのなら、良識を標榜するのなら、署名を集めるのなら、本当に怒る相手を間違えているのではないでしょうか。

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一番よいのは、主会場を臨海地区にして、ザッハ氏の当選案(要綱違反をしている部分も、アクセスから考えて無理ではないかと思われる南側の広場も)をそのまま造ればよいのではないか、と言うことだと思うが、それにしてもあれほど大きな施設は未来に禍根を残すことは間違いない。

以前に書いた関連blog

http://udf-tokyo.com/weblog/?p=5369

http://udf-tokyo.com/weblog/?p=5218

http://udf-tokyo.com/weblog/?p=4646

■会場:TOTO GALLERY・MA  http://www.toto.co.jp/gallerma/

■日程:2014年1月18日(土)〜2014年3月22日(土)

■時間:11:00~18:00(金 19:00)

■入場無料

新国立競技場 参考資料 (このblogに載せるのが良いか迷うところだが、内藤氏の審査員としての、一文にずいぶん引っかかる部分もあるので。ただしこの問題は、建築家同士の「内輪もめ」のように演出される可能性が大きいので、十分用心する必要はあると思うが)

2013.12.21 新国立競技場 イメージ 1 2013.12.21 新国立競技場 イメージ 2クリックで拡大

ある時期から、ザッハ氏の要綱違反は「無かったかのように」扱われている(共に東京新聞より)

2013.12.21 新国立競技場 条件違反2013.12.21 新国立競技場 神宮の森 美観壊す2013.12.21 新国立競技場 100年愛せる景観か

2013.12.21 新国立競技場 独法ビル 2013.12.16 五輪省庁便乗クリックで拡大

ここに上げた新聞記事(東京新聞)は、様々な事象の氷山の一角に過ぎない、今、日本でオリンピックなど開催するべきではないのでは、他にするべきことはいくらでもある。


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